優しさが自己満足になる時とならない時

優しくされて嬉しくない人はいません。基本的には、多かれ少なかれ悪い気はしないでしょう。

しかし、時と場合によっては、相手の自己満足にしか取れない優しさを感じることもありますよね。ニュアンスとしては、「ホラ俺、優しいだろ」と優しさアピールをしてくる人です。

これはひとえに自分のために人に優しくするのか、本当に相手の為を持って優しく接しているのかによって変わってくると思います。

つい先日、他人への貢献「コンパッションゴール」をもつと、「自信がない!」といった悩みが解決されるという記事を書きました。

ただ、これが単なるおせっかいや優しさアピールにつながってしまうのは芳しくありません。

優しさは自己満足になる時

では、どういった状況で優しさが自己満足に見えてしまうのか。

まず1つ目は、優しさを発揮する回数が多いことです。人には慣れが訪れます。嫉妬もします。 普段から誰彼かまわず優しさを振りまいている人は、優しさに重みが感じられなくなります。

次に「優しくしたから、俺を褒めて、もっと讃えて」という心の叫びが聞こえる人です。

自分ってなんて優しいんだぁ!というナルシスト感が「自己満足な人だな」という印象を与えてしまうんですね。

こういう人の特徴としては、自慢が多いことです。なので、我を出しすぎずに相手の気持ちに立って、何が自分をしたら相手が喜んでくれるのかを考える必要があります。

気遣いをして自己満足と思われる時は「これやったら絶対に相手が喜ぶ!」といったように、主観に満ちた気遣いとなっていることが多いです。

心に刺さる気遣いできず「そんなの求めてないし、というかウザい」と思われてしまうのです。相手の心に刺さる気遣いができないことが、優しさが自己満足になる一番の原因です。

自己満足にならない優しさにするには

結論から言うと、

 

小説読む

純文学を読む

売れている曲を聞く

映画やドラマを見る

 

これが必要です。なぜ小説や純文学がいいかというと、登場人物の感情や気持ちが文章になって書いてあるからです。

音楽や映画もこころの葛藤や感情について描写してあるものなので参考になります。つまり、様々なシュチュエーションで人が何を感じるのかを身体に染み込ませていく作業を行うわけです。

色んな人と関わりを持って様々なコミュニケーションを経験するというのが、一番いいのですが、人間関係というのは「金」と「時間」と「労力」がかかりますね。

なので、そういった芸術作品に触れることのほうが、効率よく人の気持ちを察する力を鍛えられるのです。小説や純文学を読むと「共感能力」が高まるというのは、いくつかの研究によってもわかっています。

https://teshy-psy.com/2018/01/03/tisiki/

相手目線に立って物事を考えることができれば、相手が本当に求めている優しさを提供することができます。なので、自己満足になりにくいわけです。

小説で本物の優しさが手に入る理由

ただ、映画や曲も一定の効果が得られると考えているのですが、小説や純文学のほうが効果は大きいです。

これは、文章で登場人物の考えが具体的に書いてあるからです。曲やドラマや映画では登場人物が「会話」をします。

しかし、会話とは外に出たものなので、聞き手の主観に影響を受けるのです。一方で、小説や純文学は文章で書かれています。セリフだけではなく、心の内側まで書かれているので、キャラクターの表裏が一気にわかるのです。

自己犠牲を払う必要はない

共感能力をつけて、本物の優しさを手に入れたとしても自分がやりたくないことは、特にやる必要はないです。

この話は別を聞くと、言っていることが矛盾しているじゃないかと思われるかもしれません。

しかし、本当に相手の為を思って行動することが重要です。しかし無理矢理嫌なことを行うと、せっかく培った共感能力が衰え始めていきます。

なぜなら、自分のことで精一杯になるからです。苦痛を感じたとき人は、自分にフォーカスしてしまい、周りが見えなくなります。その結果、自己満足の優しさすら行うことが不能になってしまうからです。

なので、相手が求めていることの中で、自分がやりたいことをする。これが最前策です。共感能力が鍛えられれば、相手が喜んでいるのか、嫌がっているのかも読めるようになります。

自分のやりたいことと、相手が求めることをマッチさせる技術の高さが「自己満足な優しさ」になるかどうかの境目です。

読心術の練習法は「文章を書く」こと



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