パシリやいじめられっ子は「貢献」してるのに「幸福」じゃない理由

アドラー心理学で幸福度を高めると言われている「貢献感」。ただ、これは捉え方によっては他人の人生を生きることになってしまうんですね。

貢献しなくても「貢献感」は得られる

人間は人に貢献していれば、幸福がえられる!って考え方はアドラー的に間違いなんですね。これは、考え方の問題でして、「貢献」と「貢献感」は全く違うんですね。

 

実際にあなたが貢献をしていたとしても、「人の役に立っているなぁと考えられてなかったら、それは幸福にはつながらないんですね。

 

貢献感とは主観的なもので、自分が周りの人の役に立っているなと言う感覚を感じられていればそれでオッケーなんです。

 

貢献感と言うのは自分の目で見たときに自分は周りの役に立っているのかという問題なんですね。

 

だから言ってしまえば、実際は何の役に立てなくてても、その人が勝手に周りの人の役に立っていると考えれば、その人は幸福を感じられてしまうんですね。

パシリが幸福なのか?

例えば、いじめられている人がパシリに使われているとしてます。パンを買って来いとか荷物持ってみたいな。

 

そういう人がいたとして、本人はもちろん、いやいやいじめっ子に従っているわけです。

 

このいじめられっ子は確かに周りに貢献してますよ。荷物を持ったりとか、パンを買ってあげたりとかしているので。

 

ただ、本人が貢献感を得られているかって言ったらそうではないと思うわけです。

 

確かに貢献はしてるけど、幸福度は低いんですね。相手に貢献しなければいけないという縛りが自分を苦しめているわけです。

 

相手がどうとかではなく、自分が周りの人の役に立っているといった「主観的な感覚」が幸福感を高めるんです。

 

ここをはき違えてしまうとアドラー心理学のすべてのメリットが得られなくなってしまいます。

 

逆に辛い関係になってしまったりとか、苦しいのにわざわざ相手に尽くさないといけないと言う考え方になってしまうんですね。

 

なので、自分が幸福が得られることをしましょうという事なんですね。解釈が間違っている人は、よく自分が何をすれば相手が喜んでくれるだろうと考えます。

ただ、相手が喜ぶかどうかっていうのは相手の課題であって、実際に自分にはわからないことなんですね。

 

仮に相手が喜んでるような表情をしたとしても、ほんとに相手が喜んでいるかは、結局のところわからないんです。なので、自分の主観の方を優先しましょうっていう話しだったんですね。

 

自分が自分に喜ぶことをすればよいんです。まぁできれば自分も相手も喜ぶことができるのがベストですが。

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